建物 / House
吉田山荘の建物は、昭和7年(1932年)に東伏見宮別邸として建てられた「和」と「洋」が見事に組み合わされた文化財的な存在といえます。建物の外観は総桧造りで重厚な存在感にあふれ、屋根瓦には御皇室ゆかりの「裏菊紋」があしらわれており、「和」の情緒を感じさせてくれます。平成24年4月20日に登録有形文化財に認定されました。
当山荘の玄関左手の丸いステンドグラス「直弧文鏡(ちょっこもんきょう)」の背面文様や、応接間や花の間に見られるステンドグラスは、古墳時代の銅鏡の背面文様が原形でございます。この銅鏡は明治18年に奈良県の新山古墳(広陵町大塚)から出土したもので、古墳時代前期(3世紀頃)のものと思われます。
現在は宮内庁に所蔵されており、直線と弧線を複雑に組み合わせた文様ということから「直弧文鏡(ちょっこもんきょう)」と呼ばれており、古墳時代前期~中期(4~5世紀)の出土品にしばしば見られるものです。新山古墳からは、このような文様がつけられた銅鏡が3面出土していますが、鏡にこのような直孤文をつけた例はあまり無いそうでございます。
当山荘のステンドグラスの場合は、同心円状の中間部に内向きに弧を連ねた「連弧文(れんこもん)」(又は「内向花文(ないこうかもん)」とも呼ばれます。)が巡っており中央部の紐掛けの突起の周囲にも四葉形の座(「四葉座(しょうざ)」)があり最もデザインに優れているものとされております。外側と、内側の一部の文様帯が、片仮名の「フシミ」にも通じることから、ステンドグラスに採用されたものと思われます。
表唐門 / Karamon gate
吉田山荘に訪れた際に、まず最初に皆様がおくぐりになられます表唐門は、宮大工棟梁で文化功労者の西岡常一(にしおか・つねかず)氏により1932年に建てられました、京都市内で唯一の作でございます。威風堂々とした立ち姿は、元宮家別邸である高貴で瀟洒、且つ重厚感溢れる本館への入り口にふさわしく、氏の業と智恵を余す所なく今に伝えるものとなっております。
⇒西岡 常一 氏の略歴
西岡 常一 (にしおか・つねかず) 略歴
1908年 奈良県の代々法隆寺に仕える宮大工の家に生まれる。
1924年 生駒農学校卒業後、宮大工から棟梁への道に進む。
1934年 法隆寺の「昭和の大修理」で、世界最古の木造建築の金堂や五重塔の解体修理に携わる。
1971年 奈良・薬師寺復興の大工棟梁となり、1976年には竜宮造りといわれる金堂を復興。
続いて西塔、中門、玄奘三蔵院などを完成させ、回廊や講堂の復興に尽力する。
1975年 戦時中に落雷で焼失した斑鳩の法輪寺三重塔の再建の棟梁を務める。
1992年 宮大工としては初めての文化功労者に選ばれた。
1995年 86歳で逝去。
日本建築の原点ともいうべき飛鳥時代の古代工法で大伽藍を造営することのできる「最後の宮大工棟梁」といわれた。職人世界の業を究めた人ならではの、深く考え得た珠玉の言葉の数々を、『法隆寺を支えた木』や『木のいのち木のこころ 天』(小川三夫著)などに残している。1974年・吉川英治文化賞、1981年・日本建築学会賞、1991年・国土緑化推進機構のみどりの文化賞など数々の賞を受けている。
庭園 / Garden
春は桜、初夏はさつきやつづじが美しく、京都の四季をすべてあらわしたように感じられる吉田山荘の庭園では、時折野鳥も舞い下りて、静かな気分に浸って頂けます。コンサートやお茶会なども開催し、皆様の憩いの場としてご利用頂いております。
京都を代表する夏の風物詩である五山の送り火。その中でも最も有名な「大文字山」を吉田山荘の庭園から間近に眺めることができます。